
「バランス訓練=不安定マット」は思考停止?論文解説から紐解く、本当に鍛えるべき感覚システムとは
こんにちは、小林龍樹です。
臨床現場で、足関節捻挫後の患者さんに「バランス能力を上げましょう」と言って、不安定なマットの上で片脚立ちをさせたり、高齢者の転倒予防のために目を閉じて足踏みをさせたり。私たちは日々、様々なバランストレーニングを処方しています。
しかし、その時、私たちは「どの感覚システムを狙って、そのエクササイズを選択しているのか?」を明確に言語化できるでしょうか。「なんとなく不安定な方が効果がありそうだから」という理由で、思考停止に陥ってはいないでしょうか。
今回は、視覚や聴覚に障がいを持つ子どもたちのバランス能力を調査した非常に興味深い論文を紐解きながら、私たちの身体がいかに巧みにバランスを保っているのか、そして、私たちが本当にアプローチすべき「感覚システム」とは何なのかを深く掘り下げていきたいと思います。
バランスを支える3つの感覚システムと脳の「再調整」
本題に入る前に、姿勢制御の基礎を再確認しましょう。私たちの身体は、主に3つの感覚情報を脳で統合することでバランスを保っています。
一つ目は視覚、つまり目で見る情報です。これにより周囲の環境と自分の位置関係を把握します。二つ目は前庭覚で、耳の奥にある三半規管や耳石器が、頭の回転や傾きを感知する平衡感覚です。そして三つ目が固有受容覚です。これは筋肉や関節、足裏の皮膚などから得られる、身体の位置や動き、圧力に関する感覚を指します。
平地での立位では、このうち固有受容覚が約70%を占めると言われるほど、バランスの土台となる重要な感覚です。
脳はこれらの3つの情報を常に受け取り、状況に応じてどの情報を重視するかを瞬時に判断しています。これを感覚の「再調整(リウェイト)」と呼びます。例えば、暗い場所では視覚情報が不正確になるため、脳は前庭覚や固有受容覚の比重を高めてバランスを保とうとします。効果的なバランストレーニングとは、この「再調整」の能力を意図的に鍛えることでもあるのです。
【論文解説】失われた感覚を、他の何が補うのか?
今回解説する論文は、視覚障がい児(VI)、聴覚障がい児(HI)、そして障がいのない健常児(CP)の3グループを比較し、それぞれのバランスの取り方の違いを探った研究です。
研究では、重心の揺れを精密に測定できる装置の上で、意図的に特定の感覚情報を使いにくくする4つの条件下で立ってもらいました。
条件Aは基本的な状態で、安定した床の上で目を開けて立ち、全ての感覚を使用します。条件Bは固有受容覚を評価するため、安定した床の上で目を閉じ、頭を後ろに反らすことで視覚と前庭覚を制限しました。条件Cは視覚を評価するため、不安定なスポンジの上で頭を後ろに反らし、固有受容覚と前庭覚を制限しました。最後の条件Dは前庭覚を評価するため、不安定なスポンジの上で目を閉じ、固有受容覚と視覚を制限しました。
この巧妙な設定によって、それぞれの感覚システムがどれだけ効率的に機能しているかを評価したのです。
https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/40354597/
驚きの研究結果と3つの臨床的意義
この研究から明らかになった結果は、私たちの臨床におけるバランス訓練の考え方を大きく変える可能性を秘めています。
ポイント① 障がいを補うカギは「固有受容覚」の発達にあった
最も衝撃的だったのは、主に固有受容覚に頼る状況である条件Bの結果です。この状況では、なんと視覚障がい児と聴覚障がい児の方が、健常児よりも体の揺れが小さかったのです。
これは、彼らが日常的に視覚や聴覚からの情報不足を補うために、無意識のうちに固有受容覚、つまり筋肉や関節、足裏からの感覚を鋭敏に使いこなす能力を発達させていることを意味します。失われた感覚を他の感覚で見事に代償していたのです。
ポイント② バランスの土台は、やはり「固有受容覚」
さらに興味深いことに、3つのグループすべてにおいて、4つの条件の中で最も体の揺れが小さかったのは、固有受容覚を使う状況の条件Bでした。
これは、障がいの有無にかかわらず、子どもたちがバランスを保つ上で最も依存し、信頼しているのは「固有受容覚」であることを示しています。私たちは普段、無意識に視覚に頼っているように感じますが、いざという時に身体を支える真の土台となるのは、この「身体の内部からの感覚」なのです。
ポイント③ 脳は巧みに感覚を「再調整(リウェイト)」している
その他の結果を見ると、聴覚障がい児は前庭覚の能力が低い一方で、視覚を使ってバランスをとる能力は健常児と同等でした。これは、前庭覚の不調を視覚で補っていることを示唆しています。 このように、脳は利用可能な感覚情報を最大限に活用し、それぞれの感覚の比重を巧みに調整していることがわかります。
明日からの臨床が変わる!この研究をどう活かすか?
さて、この研究結果を私たちの臨床にどう活かせばよいのでしょうか。
アプローチ①:評価の視点を変える
まず、「この患者さんは、どの感覚を優位に使ってバランスをとっているのだろう?」という視点で評価することが重要になります。例えば、開眼での片脚立ちは安定しているのに、閉眼になると途端にふらつく患者さんは、視覚への依存度が高く、固有受容覚や前庭覚の機能が低下している可能性が考えられます。逆に、不安定なマットの上でも比較的安定している方は、固有受容覚をうまく使えているのかもしれません。
アプローチ②:長所を伸ばし、弱点を補うトレーニング戦略
この論文は、長所をさらに伸ばすアプローチの有効性を示唆しています。例えば、視覚や聴覚に障がいを持つ方や、加齢により視覚・前庭機能が低下している高齢者に対しては、彼らが最も頼りにしている「固有受容覚」をさらに鍛えるトレーニングが効果的である可能性があります。 具体的には、硬い床の上で目を閉じて様々な動作を行ったり、足裏への触覚刺激を増やしたりするエクササイズが考えられます。
アプローチ③:運動療法の選択基準を明確にする
私たちはなぜ不安定なバランスディスクやフォームマットを使うのでしょうか?それは、「あえて固有受容覚からの情報を不正確にし、視覚や前庭覚への依存度を高め、感覚の再調整能力を鍛えるため」と明確に言語化できます。
つまり、全ての患者さんに不安定なマットが最適とは限らないのです。例えば、固有受容覚を鍛えたいのであれば、むしろ硬い床の上で目を閉じる方が効果的な場合もあります。また、前庭機能を鍛えたいならバランスパッド上で頭部を動かす課題が有効かもしれませんし、視覚への依存を減らしたいならデュアルタスクを取り入れるといった工夫が考えられます。
このように、「どの感覚システムに、どのような刺激を入力したいのか」という目的意識を持つことで、運動療法の選択はより論理的で効果的なものになります。
まとめ
バランス訓練は、単に不安定な状況を作って耐えさせるものではありません。今回の論文が示すように、私たちの身体は視覚・前庭覚・固有受容覚という3つの感覚を巧みに使い分けてバランスを保っています。そして、その中でも最も土台となるのは「固有受容覚」です。
明日からの臨床では、「とりあえずバランスディスク」という思考から一歩踏み出し、患者さんの状態を評価し、「どの感覚システムに働きかけるか」を意識して運動療法を処方してみてください。評価に基づいた意図的な感覚入力の操作こそが、リハビリテーションの効果を最大化させる鍵となるはずです。